私が大工になろうと決心したのは30歳のとき。それまではとある企業の社員として、ビルなどの図面を描く仕事に従事していました。脱サラというよりも、人生の軌道修正とでもいいましょうか。
もともと私は物をつくることが大好きだったんですよ。
大工として働く親父に対しても憧れていましたし。
結局、机の上だけの物づくりでは満足できなくなり、私がやりたいことはこれ(建築)なんだって気付きまして。
最初の一年間は、それはもう大変で(笑)。きつい現場仕事のおかげで来る日も来る日もくたびれ果てていました。
十代やハタチそこそこの頃なら私も体力には自信がありましたが、デスクワークばかりでなまり切った30の体には、大工仕事はそうとうハードなものでしたから。おまけに、仕事が終わってから訓練校に通っていましたので、疲れが取れることがありませんでしたね。
でも、この濃密なる最初の一年間で得たものはとても大きかった。
大工としての基礎力はもちろんですが、なにより訓練校における仲間たちとの出会いは今でも私の宝物です。
知多半島で建築業を営むうえで最も大切なのは"人とのつながりである"と私は思います。大工になって10年以上の月日が流れ、つくづくそう感じている今日この頃です。
訓練校時代の友人たちとはお互い仕事が大変なときに助け合っていますし、地元のお客様は良い仕事をすることで新たなお客様を紹介してくださいます。
地域の建築屋としてやっていくには、同業者にせよお客様にせよ、お付き合いする方々との信頼関係を築くことが第一条件。これからもこの基本をしっかりと胸に抱き、良い仕事をしていきたいと思います。